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zoom RSS 「沖縄県平和記念資料館」その真実・・・特攻隊の兵隊さんは誰のために散っていったのか・・・

<<   作成日時 : 2011/01/07 15:26   >>

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国立歴史民俗博物館が偏向展示、
沖縄戦集団自決「軍人の指示」明記 市民団体が圧力?

2011.1.5 23:36

 沖縄戦の集団自決に関する展示内容の見直しを進めていた国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)は5日、集団自決について「軍人の指示」があったとする見解をまとめ、公表した。

展示は同日付で始まった。集団自決の背景に「軍の関与があった」という表現がないとして沖縄の市民団体などから抗議が相次いでいた。

「関与」よりも一歩進んだ「指示」という表現で決着したことに識者からは批判が出そうだ。


 問題の展示は第6展示室の「大量殺戮の時代〜沖縄戦と原爆投下」のコーナー。

「犠牲者のなかには、戦闘ばかりでなく『集団自決』による死者が含まれていた」とし、集団自決の背景として「米軍に対する住民の恐怖心のほか、日本軍により軍民一体化が推し進められるなかで、米軍に投降すべきでないとの観念が一般にも浸透したこと、そして手りゅう弾の配布に示される軍人の指示など、住民の意思決定を左右する沖縄戦特有のさまざまな要因があった」などと記述した。

同館ではこれまでは「激しい戦闘で多くの人びとが生命を落としたほか、犠牲者の中には戦闘ばかりでなく『集団自決』に追い込まれた人びともいた」と解説。

これに沖縄の市民団体などが「集団自決が軍命令だったことは歴史的事実」と反発、「軍の関与」という表現を展示に盛り込むよう求めていた。

 同館は「軍人の指示」という表現について「不測の事態の際、自決を促す意図で配布されたという証言が膨大にあり、研究者間でもそう理解されている」と説明。

「軍」「関与」ではなく「軍人」「指示」という表現を用いた点にも「明確に軍が自決を命令した資料は見つかっておらず、『関与』という言葉は不正確で誤解を招きやすい」などと述べた。

 新しい歴史教科書をつくる会の藤岡信勝会長は「軍が自決を命じたととられ、これでは偏向展示だ。

私たちの調査では手榴弾配布は、むしろ住民側の要求と分かってきており自決を踏みとどまらせた例もある。

史実として未確定の部分も多く公正な歴史記述とは言い難い」と批判している。(田中佐和)

http://sankei.jp.msn.com/life/education/110105/edc1101052337002-n1.htm

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・。・ 沖縄の人は米軍とではなく日本軍と戦ったのか、と。


じゃあ、日本軍は米軍とではなくて沖縄の人と戦ったか?


じゃあ、特攻隊は何のために、沖縄に向けて飛び立っていかれたのか?

戦艦大和は何で沖縄に向かって特攻していったのか?

沖縄の人と戦うためか?


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「沖縄県平和記念資料館」その真実

「まえがき」より

私は、今でも昭和十八年十月二十一日の、あの学徒出陣壮行会を思い出すたびに胸がつまり涙がこみ上げてくる。

昭和十八年四月、ブーゲンビル島方面における山本五十六連合艦隊司令長官の戦死、同年五 月アッツ島守備隊の玉砕等々、戦局はますます厳しく、毎日が悲壮な思いであった最中、いよ いよ最後の学生さんに召集がかかった。

神宮外苑の広場は折からの雨の降りしきる中、学生服 から軍服に着替えゲートルを巻き銃を一屑に雄々しい姿の学徒を十万人がお見送りした。
私は当時、女学校五年生だった。

「武運長久をお祈りいたします」「銃後は私たちがしっかり 守ります」と学徒のご無事を祈り、心に決意した。

しかし、学徒の三分の二は戦場に散華されたのであった。

この尊い犠牲の上に今日のあることを忘れてはならない。


昨年の秋(平成二十一年十月)、講演のために沖縄を訪れ、一泊して戦跡を巡らせていただきたい旨、そう主催者に伝えていた

大田実中将の決別の電文で有名な海軍壕司令部(豊見城市)や陸軍第二外科病院壕跡(南風原町)などを案内して頂いた後、沖縄県平和祈念資料館を拝観した。
その時、私は驚きと悲しみと、表現しようの無い怒りと申し訳ない思いに、このままでいいのか・・・・やりきれない思いが込み上げてきた。

二階の展示はどれも、「日本軍悪し、日本軍悪し」の前提で展示されているのである。

折柄、中学生、高校生の修学旅行生が大勢、来館していた。将来の日本を担って行くこの子 供たちが、この展示を見て日本をどのように思うのだろうか。

この展示からは、郷土愛も、日 本人としての誇りも、愛国心も生まれはしないだろう。

何故なら、この資料館には、沖縄県民が旧日本軍と共に郷土と祖国のために如何に戦ったか という視点は、何処にも無いからだ。

はたして、この展示は、検証を充分に行った上での内容 になっているのだろうかと強い疑念が湧いた。

この資料館は新築移転されてから十年を迎えるという。来館者は昨年十一月に四百万人に達 したという。

この間、この状態を放置してきたのは何故なのか。

誰も正そうとしなかったのか。

私は日本人として悲しくなった。

いわゆる「南京大虐殺」「従軍慰安婦強制連行」、そして「沖縄県平和祈念資料館」。

何処まで日本を庇めるつもりなのだろうか。

この資料館の偏向を札す人がいないのであれば私がやろう。
八十三歳になる私だが、人生最後の仕事として取り組もう。
それは、私は「日本が大切だ」「日本を失いたくない」「日本を失つてはならない」と思うからである。

私がそのように決意するのを知っていたかのように、私が幹事長を務める「建て直そう日本・女性塾」の沖縄県支部が間もなく結成され、沖縄戦に詳しい作家や郷土史研究家、沖縄戦の証言者が瞬く聞に協力を表明して下さった。

翌月から沖縄通いが始まった。

資料を集め、証言者に会い、協力者らと検証作業を繰り返し た。
この調査によってこれまで語られてきた沖縄戦には、恣意的な誤りがあることが明らかとなった。

また、沖縄戦を記録した体験談集や出版物には、編集者による改ざんや偏向した編集 がなされていることも突き止めた。

祈念資料館の展示では、手法に巧みな印象操作が施されていることも、館内にある証言はその内容が事実であるかどうか検証されないままの公開がなされていることも明らかとなった。

この祈念資料館の展示のコンセプトは「住民の目で捉えた沖縄戦」であるという。

ところが私の感想からいえば、この展示内容は現在ではデマゴーグとまで酷評される沖縄タイムス社編『鉄の暴風』そのものである。

当時米軍が行った爆撃は、日本軍と一般住民を区別しない無差別爆撃であったし、避難民を承知での機銃掃射もしばしば行われたことも、この資料館では批判の対象となっていない。

住民を守り、食糧を提供し、米軍に対し圧倒的な劣勢にありながらも、一体となって勇戦した兵士と民間志願者、さらには本土から数時聞を要して航空特攻に散華された青年たちのことも、この祈念資料館の展示には、加えられていない。

むしろ戦傷病者戦没者遺族援護法の一般住民への適応をめぐって歪められた日本軍による「食糧の強奪」「壕の追い出し」「スパイ容疑での虐殺」「集団白決の軍命」が強調される展示となっている。

このような検証結果をまとめた本書は、沖縄に散華された英霊の叫びであろうと思う。

私が提示した各項目の疑義を読者に精査して頂き、これまで左翼運動家等の独壇場だった「沖縄戦史」に光明を当て、覆わされていた怨念の闇を去らせる運動を喚起頂ければ幸いである。

出版までの間、協力頂いた皆様に心より感謝を申し上げるとともに、多忙な仕事の合聞をぬって編集に協力頂いた豊田剛氏と錦古里正一氏、制約され期限を校正と出版に尽力頂いた展転社の藤本隆之氏に心より感謝を申し上げたい。

平成二十二年八月吉日

伊藤玲子



http://www.youtube.com/watch?v=K7sDBHv1oT4&feature=player_embedded


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これは知られているようで知られていないことだと思うのですが、

戦艦大和はどこを目指して特攻して行ったのか、知っていますか。


それは「沖縄」です。


沖縄のために「戦艦大和」は無謀にも護衛機なしで海上特攻していきました。


大和に下された「特攻作戦」とは、片道分だけの燃料を積んで沖縄に向け出発、

沖縄で浅瀬に乗り上げ、そこで砲台となり、敵の陸上部隊を砲撃するものでした。


大和の艦長は大和をそんな風に使い、兵隊が命を落とす特攻作戦を批判し、反対しました。


けれども連合艦隊司令部の、「大和の後に皆が続くのです。」

「一億特攻のさきがけとなってください」の言葉で

「それなら、分かった」と承諾し、4月6日 午後4時、戦艦大和は出撃しました。


それも護衛機ナシで、です。

当時の日本にはもう、大和に護衛をつけるだけの十分な戦力はありませんでした。

だからこそ、「特攻」なんていう作戦をとったのです。


それでも沖縄を守ると言う意思表示のために、大和の乗組員3000人以上が命を落としました、
沖縄に達することなく、九州沖の海で。



これを「愚かだ」と笑うことは私にはできません。


あの、田母神さんが更迭される原因となった「アパグループ」の懸賞論文、
これの第三回目の受賞作品を読んでみると良いと思います。

http://www.apa.co.jp/book_report3/2010japan.html



当時、参戦してきたソ連と戦っていた満州の日本兵が、もう武装解除していたために武器がなく、

それで布団爆弾といって、体に布団で巻いた手製の爆弾を巻きつけて、それでソ連軍の戦車に飛びついて特攻するという、
今で言えば「自爆テロ」のようなやりかたですが、
こうやってソ連軍の戦車隊を止めようとした若者が大勢いたのです。

これも、満州の邦人を少しでも多く非難させるために自らが犠牲になったわけです。


これは、どこで読んだのか忘れてしまったのですが、
当時、隊の上官が、「もうこれしかないと思うがどう思うか」と兵隊さんたちに聞いたことろ、
「やったー。そうしましょう」といって万歳したと言うのです。

これ、布団爆弾の兵隊さんだと思うんだけど、違うかもしれないけど、とにかく日本兵なのは確かです。


それにしても、なんという有り難いことだったしょうか。

誰だって死にたくないに決まっているのです。
痛い思いも辛い思いも誰だってイヤに決まっています。

それなのに、当時の日本には、日本にいる家族のために、同胞のために命を掛けられる若者が、そんなに大勢いたという事実は、とても有り難いことです。



そして、特攻と言えば「神風特攻隊」。

彼らもまた、そのほとんどは「沖縄」のために特攻したのです。

鹿児島の知覧飛行場は有名だと思います。

ここから沖縄に特攻していったのです。
沖縄のために死んでいったのです。


それなのに、ただただ軍部を悪者して、「沖縄は被害者だ」とばかり言い募るというのは、
「沖縄」というのは一体、どういう精神構造なのでしょうか。


確かに軍部に悪い人がいたかもしれません、それは今も政治家を見れば分かります。
いい人ばかりじゃないに決まってる。


でも、同胞のためにと戦って、散っていかれた兵隊さんたちを貶めるのは間違っていると思います。

彼らは日本を守った英霊なのです。


日本ほど、自国を貶めるのが好きな民族というも世界に類を見ないと思いますね。

お隣には愛国無罪で自国大好きな特亜三国があるのに。

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レイバン サングラス
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レイバン サングラス
2013/07/05 16:20

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