国、死に給うことなかれ

渡辺昇一さんの「国、死に給うことなかれ」
を読みました。

内容的には、知っていることも多かったけれど、
何よりとても読みやすかったです。

口語体で書かれていて、
高校生や中学生が読んでも分かりやすい本だと思いました。

きっと日本の若い世代の人たちに読んで貰いたくて
こうした、分かりやすい文章で書いてくれたのだと思います。

特に最近、多母神さんの論文のことが
新聞やテレビでずいぶん騒がれました。

その辺のことについて、この本の中に
とても分かりやすく書いている部分があったので
是非、ここに引用させてもらいたいと思います。


   アジアに巻き込まれた日本

・・・省略・・・ 

 日本が開国したとき、
南下政策を採ったロシアがひたひたと迫り、
他方、日本の脇腹に突きつけられた短刀のような朝鮮半島は当時、
清国の属国と見られていました。

 そんなロシアや清国に対等に立ち向かおうとしても、
有色人種でパートナーになってくれるような国はどこにもありませんでした。

朝鮮を誘ったけれども、あっさり断られています。
朝鮮は元来、事大主義(寄らば大樹の陰、という思想)の国ですから
独立の気概などまるでない。

大国・清国のいいなりで、弟分のように思っている日本など相手にしない。

だから福沢諭吉はすでに明治18年の「脱亜論」で、
清国や朝鮮などという「悪友」とは付き合うなと言っています。

  支那朝鮮に接するの法も、隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、
 まさに西洋人が之に接する風に従て処分すべきのみ。
 悪友を親しむ者は、共に悪名を免かるべからず。
 我れは心に於いて亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。

 明治27年(1894年)、そんな朝鮮に東学党の乱が勃発します。
すると清国が「属邦保護」を名目に先に朝鮮半島に出兵した。

今も言いましたように、脇腹に突きつけられた
短剣のような朝鮮半島を清国に抑えられたら、日本の防衛は立ち行かない。
そこでわが国も朝鮮に出兵した。

 これが日清戦争の発端ですが、日本が勝つと朝鮮が初めて独立します。

「大韓民国」と称しました。

「帝国」と自称したのは、朝鮮の歴史つまりコリア人の歴史では
それが初めてでした。

朝鮮の支配者はそれまでずっと
シナ大陸の皇帝から「王」という位を貰っていたのです。

 日清戦争に勝利した日本は遼東半島や台湾の割譲を受けますが、
ロシア、フランス、ドイツの三国が口を出してきたため(いわゆる三国干渉)、
せっかく勝ち取った遼東半島を清国に返さざるをえなくなる。

それを見たコリア人は、「ああ、やっぱり日本は白人に弱いんだな」と思って、
今度はロシアに尻尾を振るようになります。

事大主義の相手を、清国からロシアに乗り換えたわけです。

鉱山開発権や森林伐採件をロシアに譲り渡し、
さらには鴨緑江河口にある竜岩浦という港までロシアに差し出してしまいます。

ロシアはそこを「ポート・ニコラス」という名前をつけて軍港化する。

そして義和団事件(1899年)が起こると満州にも出兵して、
そこに居座って撤兵しようといない。

 そうなると、日本の安全はまた危うくなります。

そこで勃発したのが明治37年(1904年)の日露戦争です。

日本は日英同盟(明治35年=1902年に締結)などのおかげもあって
ロシアを打ち破り、満州の地に既得権を得ます。

 敗れたロシアには革命が勃発、
社会主義国のソ連が誕生(1917年)する。

革命の余波は満州にも及ぶようになり、
「革命」の名の下に赤い民族主義が起こって
日本の権益が侵されそうになる・・・。

 こう見てくれば分かるように、
開国以降の日本は亜細亜を侵略したのではなく、
否応なく「亜細亜東方の悪友」たちのゴタゴタに巻き込まれたのです。

実際、ロシア革命以後の日本の大陸政策は
すべてコミンテルン(国際共産主義組織)の暗躍に対応するためであったし、

満州国誕生も清朝最後の皇帝(ラストエンペラー)溥儀が
日本行使館に転がり込んできたところから始まった話です。

シナ事変(昭和12年)だって、
コミンテルンの手先(国民党の張治中将軍)が
仕掛けたものであることが明らかになっています。

亜細亜のゴタゴタについていえば日本は常に受身でした。

 ところが、亜細亜の植民地解放を謳った
「大東亜共栄圏」構想を曲解され、
「日本はアジアを侵略した」などと言われるようになってしまうわけですが、
わが国は決してアジアを支配しようとしたわけではないことは
上のような歴史的事実からも明らかです。

欧米が日本に貿易差別をし、石油やゴムなどの
工業国家にとっては絶対に必要なものも日本に売らない、
という政策を取り出した。

アジアにはそういう材料があるのに日本が買えないのは、
東南アジア全体が欧米の植民地だったからです。

これらの植民地が独立すれば、日本との貿易も問題はない

-ここから東南アジア諸国の独立が重要に思われたのです。

 われわれは断じてアジアを侵略したわけではない、
という「日本の主張」を忘れてはいけません。

日本軍が侵攻したところは、欧米の植民地であり、
アジア人の独立国ではなかったのです。

その頃は、タイ国を除いて、すべて欧米の植民地でした。


私たちが学校で習った歴史は何だったのかな、と
最近よく考えます。

戦後63年が過ぎ、当時秘密にされていた文書も数多く公開され、
それまでの歴史認識を覆すような事実も多く発見されました。

日本の歴史教科書も事実に基づいた記述に
中国、韓国の内政干渉に屈せずに、
随時、訂正して欲しいものです。

この記事へのコメント

ゆきおっち
2009年05月06日 00:43
日本の政府は不拡大の方針を打ち出し
陸軍の中にも不拡大を主張する人物がいたのに
廬溝橋でも現地で和平が
成立しそうだったのに
好戦派がことごとく潰しをかけて邪魔しといて
侵略ではないとは…
どうなの?
支那事変がなければ…
そして日本軍の兵器の近代化を成し遂げていれば
日本の惨めな敗戦を回避
する事の可能性もあった
筈なのに…
勝てない戦いはすべて…
イヤ
すべてではないが
侵略戦争と言われても
仕方がないんじゃないの?侵略戦争ではないの美麗句は間違った選択した奴を
庇う論理になるんじゃない?

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