日本人が知ってはならない歴史 1/6

若狭和朋 著 「日本人が知ってはならない歴史」

日本人が知ってはならないとされている歴史。

私達、日本人が知ってはならない、知っては困る史実とは何だ。

・・・誰が困るのか。


【日本人が知ってはならない歴史】1/6


日露戦争の時に、資金繰りに困った日本に何億円もの金を貸してくれたのは
世界のユダヤ人たちだった。

新興国であった日本に、ロシアのような強大国と
争うだけの資金力があるはずもなく、
当時の日銀副総裁・高橋是清は、戦争の資金集めに
アメリカやヨーロッパを奔走しました。

この時、日露戦争において、日本が勝つと考えていた人はほとんどおらず、
アメリカでの資金集めに失敗した高橋はヨーロッパへ行き、
ロスチャイルド家に援助を要請しました。

ロスチャイルド家はロシアの南下政策をよしとせず、
また、ユダヤ人を迫害する傾向のあるロシアを嫌ってはいたものの、
ロシア国内にバクー油田の利権などを抱えており、
表向き全面的な協力をすることはありませんでしたが、
それでも高橋の目標額の半分である500万ポンドを負担してくれました。

高橋に大きな援助をしたのはジェイコブ・シフというユダヤ人でした。

クーン・ローブ商会を率いる彼は、高橋に500万ポンドという多額の融資を行い、
他のユダヤ人にも日本国債を買うことを勧めました。
最終的に高橋は、日露戦争中8200万ポンドもの戦費を調達します。

ところで、このシフですが、実はロスチャイルド家と血縁関係を持つ人間でした。
高橋にシフを紹介したのも、他ならぬロスチャイルド家でした。
ロスチャイルド家は日露戦争中、シフを通して裏で日本国債を買い漁り、
最も利益を上げたのです。

参照 http://www.anti-rothschild.net/main/05.html



当時、満州の参謀長だった東条英機は満州-日本経由で、
大量のユダヤ人を逃がした。

この一連の事件、オトポール事件と呼ばれるそうだけど、

1938年に、ナチス・ドイツの迫害下から逃れてきた数千人のユダヤ人に対し、
同機関長であった樋口季一郎少将とともに、安江仙江大佐が、
即日給食と衣類・燃料の配給そして要救護者への加療を実施、
更に出国斡旋、満州国内への入植斡旋、上海租界への移動の斡旋等を行った
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E6%B1%9F%E4%BB%99%E6%B1%9F

というもの。

河豚計画という、
1930年代に日本で進められた、ユダヤ難民の移住計画で、
ヨーロッパでの迫害から逃れたユダヤ人を満州国に招き入れ、
自治区を建設する計画もあったようですが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E8%B1%9A%E8%A8%88%E7%94%BB


しかし、全体として日本はユダヤ人社会の力を正しく理解していなかった、と。
世界における、ユダヤ社会、の力、のことかな。


で、桂・ハリマン協定の破棄をやっちゃった。


日露戦争の講和会議は1905(明治三十六)年6月9日、
ポーツマスで開始された。

講和気運の高まる8月10日、アメリカの鉄道王ハリマンが
ニューヨークを発ち日本に向かった。

ハリマンは日本の戦時外債に協力した最も有力な人物であり、
政府・大蔵省・財界あげて大歓迎した。

ハリマンは南満洲鉄道を、自分の経営する会社と共同経営したいと提案。

日本側は戦後の経営を考えて、
ここはアメリカの力を満州に引き入れた方が
今後の対ロシアとの対抗にも有利と判断。

首相桂太郎は明治天皇の内諾も得て、
桂・ハリマン協定として知られる仮条約(覚え書き)に調印。

でも、ハリマンと入れ違いに帰国した小村寿太郎外相は激怒。

で、この仮条約を破棄。

そして清国との条約で
「南満洲鉄道経営については両国以外に関与すべからず」
との一条を入れさせた。

ハリマンは激怒。
「日米両国は十年もしないうちに戦争するであろう」とまで言った。



エドワード・ヘンリー・ハリマン

日露戦争中には日本の戦時公債を1人で1千万円分も引き受け、
ポーツマス条約締結直後に訪日して、1億円という破格の財政援助を持ちかけて、
南満州鉄道の共同経営を申し込んだ。

日本側も乗り気で1905年にポーツマス条約で獲得した
奉天以南の東清鉄道の日米共同経営を規定した桂・ハリマン協定を結んだが
小村寿太郎外相の反対により破棄された。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%9E%E3%83%B3


桂・タフト協定

フィリピン総督のタフト陸軍長官は、
ポーツマス講和会議が進行中の7月27日に来日し、桂首相と会談。

この時「桂・タフト覚書」として知られる協定を結んだ。

協定の内容は、

日本は、アメリカの植民地となっていたフィリピンに対して野心のないことを表明する。

極東の平和は、日本、アメリカ、イギリス3国による事実上の同盟によって守られるべきである。

アメリカは、日本の韓国における指導的地位を認める。

というもの。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%88%E5%8D%94%E5%AE%9A


会談の席でタフトは、
「アメリカ国内ではロシアに好意的な人々がいて、
次の日本の目標はフィリピンだと言う」と発言。

当時、フィリピンはアメリカの植民地となっていたんですね。

桂首相は、「日本がフィリピンに野心をもつようなことはない」と表明。

タフトは、「朝鮮は左右に揺れて、日露戦争の原因になったが、
ここは日本が断固とした措置を取る必要がある」、

「朝鮮が日本の同意なしに他国と条約を結ばないように、
日本が軍隊を駐留させ保護国にすることが極東の平和に貢献すると考える。
大統領も私と同じ考えだ」と述べた。

つまり、
韓国政府が日本の保護国となることが東アジアの安定性に直接貢献することに同意した。

ルーズベルト大統領も、彼の意見に賛成で、

 ポーツマス講和会議の席では、ルーズベルトが小村寿太郎全権に、

「朝鮮の外交的不道徳が日露戦争の最大の原因だ」と言い、

「朝鮮を日本の保護領にすることを要請する」と明言。

ロシアにも韓国に対する優越権を認めさせた結果、
事実上、列強のすべての国が大韓帝国に対する日本の支配権を認めた。



ルーズベルトの言う「外交的不道徳」とは、
大韓帝国とロシアとの秘密同盟などのこと。

1895年、日清戦争で中国は日本に敗北し、
日本は下関条約によって清朝最後の冊封国であった朝鮮を独立国と認めさせ
大韓帝国は中国からの冊封体制から離脱したものの、

満州を勢力下においたロシアが、
朝鮮半島に持つ利権を手がかりに南下政策を取りつつあった。

ロシアは、閔妃を通じ売り払われた鍾城・鏡源の鉱山採掘権や
朝鮮北部の森林伐採権、関税権などの国家基盤を取得し、
朝鮮半島での影響力を増したが、

ロシアの進める南下政策に危機感を持っていた日本がこれらを買い戻し回復させた。

当初、日本は外交努力で衝突を避けようとしたが、
ロシアは強大な軍事力を背景に日本への圧力を増していった。

1904年2月23日、
開戦前に「局外中立宣言」をした大韓帝国における軍事行動を可能にするために
日韓議定書を締結し、

開戦後8月には第一次日韓協約を締結、
大韓帝国の財政、外交に顧問を置き、条約締結に日本政府との協議をすることとした。

大韓帝国内でも、
李氏朝鮮による旧体制が維持されている状況では
独自改革が難しいと判断した進歩会は、
日韓合邦を目指そうと鉄道敷設工事などに5万人ともいわれる大量の人員を派遣するなど、
日露戦争において日本への協力を惜しまなかった。

一方、高宗や両班などの旧李朝支配者層は日本の影響力をあくまでも排除しようと試み、
日露戦争中においてもロシアに密書を送るなどの外交を展開していった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%9C%B2%E6%88%A6%E4%BA%89

露朝密約事件(ろちょうみつやくじけん)とは、
19世紀末の朝鮮政府が清や日本、イギリスを牽制するため、
秘密裏にロシア帝国と交渉を行い、軍事的援助と保護を求めたとされる一連の事件。

1885年(第一次)、1886年(第二次)の二つがある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%B2%E6%9C%9D%E5%AF%86%E7%B4%84%E4%BA%8B%E4%BB%B6



朝鮮がまさにロシアの手に落ちようとした直前に日露戦争となった。

日清戦争での日本の勝利の後、朝鮮は大韓帝国として独立した。

すると、ロシアが南下して、国王はロシア公使館に監禁され、
露韓密約が結ばれ、
ロシアは朝鮮各地に軍事基地を構築するに及び、日露は開戦した。

こうした向背常なき朝鮮の外交を「不道徳」と米英は言った。

 アメリカは、自国がフィリピンを保護国化したことについての追認と保証を、
日本に要求した。

そして朝鮮については、日本による保護国化を要請し、アメリカは同意と保証を与えた。



・・・ここ辺りまではものすごく、日英、日米関係良好だよね。


ところが・・・。
桂・ハリマン協定の破棄で、すべてがご破算か・・。 


日露戦争時、日本の戦時国債を引き受け、
そして、ロシア国債の暴落にも協力してくれた世界のユダヤ人社会、
メディア社会、米英の各界の支援を、
桂・ハリマン協定の破棄で、恩を仇で返してしまった、というわけで・・・、

日本不信が確実にユダヤ人世界に広がったのだ、と。

これが日本破滅の第一歩。

第二歩は、日本がロシアと結んで、満洲から米英を排除したこと。

反米親露という、この転舵に反対していた、伊藤博文が死んだことで・・・。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック