日本人が知ってはならない歴史 2/6

【日本人が知ってはならない歴史】2/6


日本は終戦後、7年間もGHQに占領され、
その間に、日本は、自己主張すること、
自分の正当性を主張することをことごとく禁じられた。

プレスコード(検閲があったという事実を隠した検閲)や
ウォーギルトインフォメーション政策によって。


横田喜三郎 東大 国際法の主任教授は
東京裁判を、国際法の革命だ、と大絶賛。


横田 喜三郎
(よこた きさぶろう、1896年8月6日 - 1993年2月17日)は、
日本の国際法学者。

第3代最高裁判所長官。
従二位勲一等法学博士。
江南市名誉市民。
元国務大臣猪口邦子は孫。

昭和24年の著書『天皇制』においては、
「天皇制は封建的な遺制で、民主化が始まった日本とは相容れない。
いずれ廃止すべきである」という趣旨の主張をした。

しかし、晩年は保守的な思考を強め、
最後は天皇から勲一等及び文化勲章を受けた。
その過程では、東京中の古本屋を回って著書『天皇制』を買い集め、
世に流布しないようにした
(中西輝政・福田和也著『皇室の本義』PHP研究所、118頁参照)。

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この横田 喜三郎は、戦時中は八紘一宇などといって、
日本の戦争を国際法的にも合理化した人。

マッカーサーの時代になると、くるっと主張を大回転。

しかし、マッカーサーがいなくなると、
また上記のようなGHQ賛美の論文、本などの書籍は
弟子達がすべて回収して、なかったことにしようとした。

で、この方は、後に最高裁判所の長官にもなった。

さらには勲一等もいただきました。

日本焦土作戦を立案した人、
ルメイにも勲一等をあげているんだって。

カーチス・エマーソン・ルメイ
(Curtis Emerson LeMay, 1906年11月15日 - 1990年10月1日)は、
第二次世界大戦期のアメリカ合衆国の軍人である。

戦略爆撃の専門家、東京大空襲を初めとする
日本の焦土化作戦を立案した。
後に、空軍参謀総長になった。

第21爆撃集団司令官時代、ルメイは対日作戦として、
日本の都市の無差別戦略爆撃を立案した。

1964年に、航空自衛隊創設時の戦術指導に対する功績により、
日本政府より勲一等旭日大綬章を授与された。

これは参議院議員で元航空幕僚長源田実と
小泉純也防衛庁長官からの強力な推薦によるものであった。

なお勲一等に叙する勲章は本来、
授与に当たって直接天皇から渡される(天皇親授)のが通例であるが、
昭和天皇はルメイと面会することはなかった。

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日本の勲章をあげる基準ってなんだ?と。


勝間田 清一という、コミンテルンの明確なメンバーの一人だった人間、
戦前、(企画院事件で)検挙もされている人間が、戦後は社会党の委員長になり、
衆議院の副議長になり、そして、勲一等を貰った、というわけで、

さらには、1970年代に至っても、ソ連のKGBから資金援助を受け、
個人的にもお金を貰っていたと言うことが、
いろんなドキュメント(文書)の中に、今現在も、名前が出てきている人。

この人が、勲一等。


勝間田 清一
(かつまた せいいち、男性、1908年2月11日 - 1989年12月14日)は、
静岡県御殿場市出身の日本の政治家。

日本社会党委員長、政審会長、国対委員長、衆議院副議長を歴任した。

正三位勲一等旭日大綬章。

御殿場実業学校(現・静岡県立御殿場高等学校)を経て、
宇都宮高等農林学校(現・宇都宮大学)に進学し、
さらに京都帝国大学(現・京都大学)へと進んだ。

宇都宮時代に、マルクス主義に触れ、社会主義的思想を持ったという。

大学卒業後、財団法人協調会に就職し、やがて内閣調査局に移り、
そこで和田博雄と知り合った。

内閣調査局はやがて企画院へと発展し、そこの調査官となった。

1941年、大政翼賛会組織部九州班長に就任するが、
企画院事件に連座して、検挙される。

社会主義理論家としては国際的に認められており、
ソ連によるスパイ事件、いわゆる「レフチェンコ事件」ではその名を取りざたされた。

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レフチェンコ事件については、ここ↓を参照
http://wldintel.blog60.fc2.com/blog-entry-41.html
スパイ&テロ
国際情報誌『ワールド・インテリジェンス』
(軍事研究別冊)編集長・黒井文太郎のブログ



企画院事件(きかくいんじけん)は、1939年から1941年にかけて、
多数の企画院職員・調査官および関係者が
左翼活動の嫌疑により治安維持法違反として検挙・起訴された事件。

企画院事件は、1939年以降の「判任官グループ」事件、
および1940年以降の「高等官グループ」事件の複合体である。

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