日本人が知ってはならない歴史 3/6

【日本人が知ってはならない歴史】3/6


ハルノートは二通あった。

一つは、11/26にワシントンで野村大使に渡されたもの。

それを称して「ハルノート」と日本人は言っているけれども、
実は、これは、ハル国務長官が書いたものではない。

ハリー・D・ホワイト財務副長官(有名な、コミンテルンのメンバー)
の書いたものだった。


もう一つの、ハル国務長官自らが書いたものは、
日本に見せる前に、
チャーチル、蒋介石、インドネシアのオランダの臨時政府に見せたら、
猛反対された。

なぜなら、日本の乙案に対する回答であって、
例えば南部仏印(南ベトナム)の日本軍の兵力は2万5千人以内
とかいうように日本の乙案に対して妥協的というか融和的であったから。

(この事実は、ロバート・B・スティネット著『真珠湾の真実』でも確認。)

それでルーズベルトは、ハル長官の記したものは日本に通告せず、
代わりに、
有名な、コミンテルンのメンバーであるハリー・D・ホワイト財務副長官が
財政的な観点から、一般的なアメリカ政府の立場ということで書いた。

例えば、全支那から警官から民間人に至るまで、全日本人は引き上げよ、
というようなことが書いてある。

当時、日本にはもう石油は入ってきていません。
鉄も止められ、もちろん、ゴムも、その他、何も入ってこない。

日米通商航海条約というのは破棄されていた。
(昭和15年(1940年)に失効。 )

分からない用語があるときは、 
日米開戦まで日米の交渉過程をを公文書で辿るサイト
参照 ↓
公文書に見る日米交渉 (用語解説)
http://www.jacar.go.jp/nichibei/word/index7.html


日本は食料も燃料も何もかも止まっていた。
そこへもってきて、中国から全員出て行け、と。

この、ホワイト財務副長官が書いた強硬な「ハルノート」は
チャーチルたちは見ていない。

で、ルーズベルトは、これを11/22に東京のアメリカ大使館に
グルー大使宛で、暗号で、通告。

ところが、この暗号は、日本がすでに解読していた暗号を使っていた。

この時に使った暗号は、
近衛首相の秘書官だった、牛場秘書官が、日米友好のために、
「実はアメリカの暗号の一部が日本にバレている」と忠告した暗号で

つまりアメリカは、日本にばれていると知っていた暗号で、
わざと東京のグルー大使宛に、ワシントンから打電した。

もちろん日本はこれを解読する。

「これは全く話にならないではないか。」

「講和も何もかも、無茶苦茶だ」と。

そして、昭和天皇をはじめ、親米英派も、みんな絶望する。

日本は絶望の淵に立たされ、
11月26日には、ホワイトが書いた「ハル・ノート」が野村大使に手交されるが、
東京の日本外務省は事前に解読していたから、内容は知っていた。

日本は暗号を解読し、それを見た親米英派は絶望し、沈黙した。

妥協的だったハル国務長官の書いた覚書は、日本には知らされていない。
強硬な内容で、日本が到底のめない、
ホワイト作成の「ハル・ノート」だけを通告した。

チャーチルも誰も知らない、
ホワイトが書いたいわゆる「ハルノート」なるものに日本は絶望し、
そして、開戦やむなし、というように追い込まれていく。


もし、ハル国務長官の書いた「ハルノート」が日本に届いていたら、
日米開戦は避けられたかもしれない。


 

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