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zoom RSS 「朝鮮人等は戦勝國民に非ず、第三國人なり」 By マッカーサー元帥

<<   作成日時 : 2010/01/01 18:51   >>

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在日のタブー 朝鮮進駐軍についての動画
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9202102
が削除されてしまいました。

でもこれ、別に、動画といっても、
朝鮮進駐軍などについてのネット上の記事などを
集めたものでしたので、結構簡単に復元できます。

ここにそれらを集めて再現して見たいと思います。

動画は削除できても、事実は消せません。


在日朝鮮人に関する事実を知ることは「差別」でも何でもありません。

私たちには真実を知る権利があるということは言うまでもありません。


まずは、朝鮮進駐軍でググっと検索してみます。

すると、トップは「アジアの真実」です。

戦後 朝鮮人は何をしたのか
http://blog.livedoor.jp/lancer1/archives/14099974.html

ここに、あの動画の文章もあります。

抜粋&引用させていただきます。

田岡一雄自伝・電撃編」 1982年 徳間文庫 
(「韓国のイメージ」鄭大均 より) 

 彼ら(在日朝鮮人)は闇市を掌握して巨大な利益をあげ、
徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街を闊歩していた


通りすがりの通行人の目つきが気に入らぬといっては難くせをつけ、
無銭飲食をし、白昼の路上で婦女子にいたずらをする。

善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。

こうした不良分子は旧日本軍の陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。
袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首にまきつけ

肩で風を切って街をのし歩いた。

腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器をひっさげた
彼らの略奪、暴行には目にあまるものがあった。

警官が駆けつけても手も足もでない。

おれたちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人がなにをいうか」。

警官は小突きまわされ、サーベルはへシ曲げられ、
街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。


<当時を生きた北斗星さんの談話>一部略

朝鮮人は戦勝國民だの「朝鮮進駐軍」を僭称して
堂々と闇商賣を行ひ、派手に稼いでゐた 


そりゃ儲かるだらう 

取締を横目に犯罪のし放題 

警察の検問を竹槍日本刀を振り回して強行突破したのだから

 當時は物不足で、賣る方は素人でも出來た 

仕入れこそ難しかったのだが、
彼等は日本人露天商を襲って商品を奪ふのだから 

其で警察が黙認して捕まへないのだから、こりゃあ損のし様が無い 

 警察が襲撃されること頻りで、署長が叩きのめされたり、
捜査主任が手錠を賭けられ半殺しにされるぐらいは珍しからず


 上野で朝鮮人経営の焼肉屋へ國税局査察部が査察に行った際、
大金庫を開けて手を入れた瞬間を狙って
二十人ぐらいで一斉に金庫の扉を押したものだから
査察官は腕を切断されてしまった

(録取者註 當時は警察署が襲撃される事が珍しくなく、
第三國人の來襲によって犯人を奪還された富坂警察署事件
ついでに警官が殺された澁谷警察署事件
共産党が大群で警察署を包囲し外部との聯絡を遮断「攻城戦」に出た平警察署事件等、
枚擧に暇有りませんでした)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ここで一度、上記の事件について検索してみます。

例えば富坂警察署襲撃事件(ウィキより抜粋&転載)

1945年12月30日、警視庁富坂警察署は
管内で発生していた連続拳銃強盗事件の容疑者として
在日朝鮮人3人を逮捕した。

3人の容疑者は警視庁本部と大塚警察署の留置場にそれぞれ留置されていた。

翌年1946年1月2日、容疑者のひとりを富坂警察署へ護送して取り調べた後、
署内の留置場に留置した。

1946年1月3日正午、
トラックが富坂警察署に到着、
警察官の制止を振り切って約80人の朝鮮人が署内に乱入し、
留置中の在日朝鮮人の即時釈放を要求
した。

危険を察知した警部が警察電話を通じて、警備隊の応援を要請したところ、
在日朝鮮人20人が電話室に乱入し占拠した。
これにより外部との連絡が絶たれてしまった

交渉にあたった署長は「朝鮮人は留置していない」と突っぱねたが、
情報が漏れていたらしく、在日朝鮮人たちが留置場を探し始めた。
これを阻止しようとした警察官に対して殴る蹴るの暴行を加えて負傷者を続出させた
在日朝鮮人はついに留置場を発見、中にいた容疑者を連れ出した。

その後在日朝鮮人たちは
「署長は、朝鮮人は留置していないと我々を欺いた」と署長を責めた後、
富坂警察署の前を通りかかったトラックを奪って逃走した。

警視庁は、全力をあげて事件の捜査にあたったが、
終戦直後の混乱もあって検挙には至らなかった


さらに平警察署事件について検索すると、

侵略国家共産中国と犯罪国家韓国の経歴書
http://tenrin.hiciao.com/c_VM8B98xS.html 

がトップに来ます。

ここには、在日本朝鮮人連盟などの、
在日が起こした暴動事件が時系列に列挙されています。

以下、抜粋&転載させていただきます。


1945年10月15日、日比谷公会堂に
全国の在日朝鮮人代表5,000人が参集して、
在日本朝鮮人連盟」(以下「朝連」)を設立

同11月16日、右派が朝連に対抗して
在日朝鮮建国促進青年同盟」(略称「建青」)を設立。

1946年1月、朝連が「自治隊」(又は「保安隊」)と称する暴力集団を設置

「自治隊」は腕章を付けたり、制服制帽を着用したりして横行し、
警察権類似の不法行為を行い、
詐欺・掠奪・暴行・破壊・占拠・人民裁判と称する監禁、
更には強窃盗まで敢行


朝鮮人の犯罪行為による治安の悪化を防ぐため、
同2月19日、総司令部が「刑事裁判管轄権に関する総司令部覚書」を発し、

日本の刑事裁判権が連合国の国民又は団体
朝鮮人は連合国民ではない)に及ばないことを規定したものの、
「自治隊」の暴力行為が終息しないため、
同4月24日、総司令部は「朝鮮人の不法行為に関する覚書」を発して、
朝鮮人自治隊の如き如何なる警察的機関も認めぬ
との見解の下、「自治隊」の解散を命令した。

しかし、朝連の不法行為は一向に止まず、同5月16日には、
ヤミ市場の取締によって朝鮮人30人が長崎警察署に連行されると、

朝連幹部 丁奎鳳、朴善奎等が「青年自治隊」員100余を始めとする
200余を率いて長崎警察署を襲撃し、
暴行破壊の限りを尽すという事件(長崎警察署襲撃事件)が発生
している。

同9月22日、新潟県岩船郡重尾村において、
警官の取締を朝鮮人約50人が妨害し、
駐在所を襲撃してこれを破壊したため、
警防団や米軍の応援を得てこれを鎮圧したが、
同29日、朝鮮人19人が新潟日報社へ押しかけ
この事件の報道記事が事実に反するとして、記事の取消を要求し、
社員3人に暴行を加え、更に社を破壊
したため、
19人全員が検挙された(新潟日報社襲撃事件)。

同10月頃から、朝連は朝鮮人の帰国促進から
日本への恒久的居住のための生活擁護を目指すようになり、

同12月20日、皇居前広場において最大規模の「人民」大会を実施し、
約1万の群集がそのまま総理官邸へデモ行進し、
邸内に乱入して暴行破壊の限りを尽した
首相官邸暴力デモ事件)。

終戦後、在日朝鮮人団体は
日本の教育関係法令を無視して民族教育を行っていた


そのため、文部省が1948年2月、
日本の教育関係法令に従わなければ朝鮮人学校を閉鎖する旨
各地の朝鮮人学校に通達
したのであるが、
朝連は各地で役所に集団で押しかけて暴行破壊行為を行った

その最大規模のものが大阪と神戸で発生した阪神教育事件である。

1948年4月23日、在日朝鮮人団体の代表16人が
大阪府庁において知事や学務課長と交渉していたが、
午後に入って朝鮮人約5,000人が府庁に侵入し、
知事室に乱入して破壊の限りを尽したため、
武装警察が出動して179人を検挙した。

これら検挙者を釈放させるため、翌24日、
共産党、朝連、民青等約300人が南警察署を襲撃
した。

同26日にも約1,600人が府庁を襲撃し、
警備に当たっていた警察と乱闘ととなったため、
消防車と火器により鎮圧している(大阪教育事件)。

同4月24日、兵庫県庁の知事室において
知事、検事正、市長等が協議していることを知った朝鮮人
約100人が県庁に侵入
し、
知事室に乱入して暴行破壊を行って知事たちを脅迫し、
学校通達の撤回、逮捕者の釈放、
学校閉鎖仮処分の取消等を「誓約」させ

MP(米軍憲兵)を軟禁した。

この報を受けた米軍は非常事態宣言を発して
知事たちを救出するとともに、
25〜29日、事件関係者を検挙した(神戸教育事件)。

これら一連の事件の後、
文部大臣と朝連教育対策委員長との間で、
「朝鮮人の教育は教育基本法と学校教育法に従」い、
これを「忠実に履行する」旨の覚書が交わされた


 同9月9日、北朝鮮が建国されると、
朝連は全国各地で「人民共和国成立慶祝式典」を開催し、
北朝鮮国旗の掲揚を巡って米軍憲兵や警察と衝突し、
民団(1946年10月設立)や建青を襲撃
した。

1949年に入ると、朝連は公然と
在日朝鮮人問題は、革命だけが根本的な解決への唯一の道である
と言明し、警察や民団等との抗争をエスカレートさせて行った。

年明け早々の1月13日、民青組織部長韓基栄等が建青副委員長を暗殺

同1月26日、関税法違反等で朝鮮人8人が逮捕されたことに対し、
朝連約150人が8人の拘留されている島根県益田警察署を襲撃したため、
警察は威嚇射撃によりこれを撃退した(島根県益田警察署襲撃事件)。


・・・・まぁ、まぁ、兎に角、暴力沙汰が多すぎて、
それも、やってることが、まさに「ヤクザ」でしょ。

しかも、どれも○○事件と名前が付いちゃっているもんだから、
いくら消そうと思っても消えないよね。

コピペするのも面倒なくらいですが、さらに続きます・・・



同4月6日、東京江東区枝川町の朝鮮人地区において、
刑事3人が窃盗犯を逮捕連行していたところ、
犯人が逃走したため、威嚇射撃したところ、
近隣の朝鮮人約50人が刑事を殴打暴行して重傷を負わせ、拳銃2丁を盗み
朝連支部に交渉のために訪れた警部補以下5人にも暴行を加えたため、
13〜19日、警視庁が朝鮮人容疑者17人を逮捕した(深川枝川町事件)。

同6月11日、広島日鋼製作所の企業整理(含人員)案に反対する労組が
共産党員約200人(うち朝鮮人約100人)の支援を受けて工場に押しかけ、
所長代理以下12人を監禁暴行した(広島日鋼事件)。

 同6月30日、福島県平市において、
共産党員、朝連員約300人が平警察署に侵入してこれを占拠し、
署の門前に赤旗を立て、市内で検問等を行ったため、
騒擾罪で100余人逮捕(福島県平警察署占拠事件)。

 同7月14日、朝連員が宮城県民団長を暗殺した。

同8月19日、下関において朝連員約200人が民団事務所等を襲撃し、
掠奪暴行破壊の限りを尽したため、131人検挙。

このように日本における「革命」を目論み、その手先である警察に挑戦し、
暴力主義的傾向を一層強める朝連、民青に対し、同9月8日、
法務府(法務省)は団体等規制令第4条に基づいて解散命令を発した。

ここに日本の混乱状態に乗じて不法行為の限りを尽した朝連は消滅した。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こういった事実は、真実を世に広めたい、
憂国の愛国者の方々の無償の努力によってネット上にUPされており、

教科にも載っておらず、周りの誰にも教えてもらえなかった事実を
彼らのおかげで私たちは知ることが出来ます。


どれも実際に起こった事件として日本の歴史に残っています。

動画は消せても事実は消せません。



さらに、当時を生きた北斗星さんの談話を続けます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

關東以西の大都市を中心に、
日本中に灰神楽が立つやうな勢で数多犯罪を重ねた
 
川崎、濱松、大阪、神戸などが酷かった

 其最も著しい、象徴的事例に、元文部大臣、
後の首相・鳩山一郎氏に對する集團暴行・傷害事件がある 

 翁が軽井澤の静養先から帰京しやうとして信越本線の汽車に乗って居たら、
例の「朝鮮進駐軍」が後から大勢、切符も買はず、
鐵道員を突き飛ばし押入って來て、

俺達は戦勝國民だ、おまへら被支配者の敗戦國民が座って
支配者様を立たせるとは生意氣だ、
此車両は朝鮮進駐軍が接収するから全員立って他の車両へ移動しろ、
愚図愚図するな! と追ひ立てた 

 其で鳩山氏が、我々はきちんと切符を買って座ってゐるのにそりゃおかしい、
と一乗客として穏やかに抗議したら、
忽ち大勢飛び掛かって袋叩きにし、鳩山翁を半殺しにした 

幸にして重体にも重傷にも至らなかったが、
頭部裂傷だか顔面挫傷だか忘れたが、血に塗れ腫れ上がった痛々しい顔で帰京した

・・・・・・

はい、ここに、今の日本の首相、鳩山由紀夫の祖父、
鳩山一郎が出てきますが、
これはどうやら、少し勘違いのようでして、

鳩山一郎の「回顧録」によると、
この暴行を受けたのは、鳩山本人ではなく、あるご老人で、

鳩山一郎(ウィキ)の逸話には

戦後、青森へ遊説に行くため、上野で汽車に乗ろうとすると、
車両が中華民国人に占拠され、車両を出て行こうとしない老人が
殴られるのを目撃
した。

青森から東京に戻る際には、朝鮮人が列車を占拠しようとしたが、
駅長が拒否するという事件にあった。
「自衛隊はこういうことが起こらないために必要だ」と述べている。


・・・これが話の真実だと思われますが、
いづれにしても、鳩山一郎が、
在日朝鮮人たちの暴挙を取り締まるために自衛隊を作ろうと思い立った
ということ、これは真実でありましょう。


さらに転載を続けます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 直後に總理大臣に成る程の大物でも如斯 
況や庶民に於てをや 

土地も屋敷も物資も操も、奪ひ放題であった 

闇、賭博、傷害、強盗事件が多く、

殊には、空襲や疎開で一時的に空いてゐる土地が片端から強奪された

 今、朝鮮人が駅前の一等地でパチンコ屋や焼肉屋を営業してゐるのは、
皆、あの時奪った罹災者の土地だ
 

 其でも警察は手が出せなかった
 歴代總理大臣等が絞首刑になって行く状況で、警察如きに何が出來よう 

或日、警察は何月何日を以て廃止す、再び登庁するを許さず、と命ぜられれば、
其切り警察は消滅する 

七百萬の大軍を擁した彼の帝國陸海軍ですら、
左様にして両總長 両大臣以下、自然廃官になった 

 堪りかねた警察が密かにやくざに頼み込み「濱松大戦争」になった訳だが、
「小戦争」は日本中に頻發した 

 最後の頼みの綱は聯合國軍であったが、
遂には其憲兵隊でも手に負へぬ非常事態に立ち至った 

 其で流石に米軍も腹に据えかね、
日本本土全域の占領を担當してゐた米第八軍司令官アイケルバーガー中將が、
關東と言はず關西と言はず、はたまた北九州と言はず、
不逞鮮人活動地域に正規戦闘部隊の大軍を出動させ、
街頭に布陣して簡易陣地を築き、重装甲車両を並べ、
人の背丈程に大きな重機關銃を構へて不逞鮮人共にピタリと狙ひをつけ、漸く鎮圧した

 此時、聯合國軍總司令官ダグラス・マックアーサー元帥の發した布告が、
朝鮮人等は戦勝國民に非ず、第三國人なり

と言ふ声名で、此ぞ「第三國人」なる語のおこりである

 だから、外國人差別用語な筈は無い 
彼等自身、マックアーサー元帥以下、一人残らず皆、外國人ではないか

 「第三國人」の語は、國際法に則って説いた技術的専門用語に過ぎない 



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここにも、在日韓国・朝鮮人についての真実がUPされています。

ビラのHP
今こそ国民に真実を知らせ
正常な世論を取り戻そう
http://posting.hp.infoseek.co.jp/

 「三国人」という言葉が生まれたのは終戦後で、
戦勝国である連合国、敗戦国である日本に対し、
日本の統治下にあった朝鮮・台湾は戦勝国でも敗戦国でもないという意味で
第三国と定義され、その国の人たちは「第三国人」と呼ばれました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



かなり長くなりましたので、ここらで一度 終わります。



事実を知りましょう。

事実を知らなければ、簡単に騙されてしまいます。

戦後の多くの私たち日本人がそうだったように。

検索すればネットにUPされています。
すべて主さんたちの愛国心と無償の努力によって。

事実は簡単には消せません。


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